これでいいのか?
七夕ですね。
昨年の七夕の写真です。まだ体力が回復していなかったのか、笹を買いに出かけただけで汗だくでフラフラになっていました(笑)
今年は1日から笹を買って来て飾りましたが、なんか賑やかすぎて。。。。去年の思い出七夕にしてみました。
これでいいのか
なにが?
治療、検査、その他諸々です。
もう生きる時間のほうがうんと少ない人生です。
昔から親しんだ俳優さんや歌手さんもあれあれというように亡くなって、
親戚の高齢者はほとんど旅立ちました。
さて、なにがに戻りましょう。
今日も病院に行って来ました。
今日の診察や薬代はさほどでもありませんでしたが、先月末の検査費用に少々驚き、
でも今更驚きもおかしいんですが、保存してある診療報酬のファイルのレセプトを見ると改めて高額な検査、治療だなと感じました。
もっと若い方々で、難病や癌、その他の病気で苦しんでいる人はたくさんいます。
そして保険会社の医療保険にも入っていないとか、長期の療養、入院に多額の出費が嵩んでいることでしょう。
そう考えると、高齢者の自己負担の区分をもう少し厳密に設定して、高額な収入のある方は高齢者であっても3割負担して頂くとかの策を練らないと、上に述べたような経済的に不自由している若くして病と闘っている人たちが3割負担では可哀そうな気がします。
それなりの高額医療費の対策や、収入に応じた減免はあるでしょうが。
なんだか矛盾したことを書いていますね。
しかし矛盾があるから、物事が新たに改善されるのではと思います。
もっと病気のこと、同じ状態で悩んでいる方への私が見つけた対策なんかを書こうと思うんですが...いざとなると難しい.....。
閑話休題 薬の怖さ?面白さ?
これは4年前ですね、沖縄の写真です。
このころはちょっと飲みすぎ加減くらいでなーんともなく元気なもんでした(笑)
でも酒が入ると飯が食えない、次の日に残るというような兆候めいたものはあったかな?
しかし既に病気は始まっていたんですね。
臓器と違って目立った症状が出ずに、口内炎や喉の痛みなんかで、ヘビースモーカーだったんで、てっきりたばこの吸い過ぎだと思ってました。
ホームドクターもそう思っていたようです。(苦笑)
だから口内炎をろくに診もせず、喉の痛みも抗生剤を処方するだけ。
おまけにそれで一時的に収まったいたもんだから始末が悪い。
医療麻薬
ご存知ですよね?
末期の癌患者の方の痛みの緩和、不安の解消などに使用されます。
私の服用したのは半合成麻薬のオキシコドン、オキノームでした。
口内の炎症が酷くなり痛みが尋常ではなくなったので、医師が処方したんですが、
看護師が何度も「麻薬といっても怖がらないで、医薬品だから」となぜか慰めのようなことを言っていました。
効き目は「良好」だったと言って良いでしょう。
しかし問題は、というより今から思えば笑い話はこの後に起こります。
炎症も収まってきたので、医師の判断で薬を止めることになりました。
私としては医師を信頼して服用していましたので、止めると言われればそれに従います。
多分....恐らく....いや私の推測ですが、若いDr.はこの薬を過去に処方した経験がなかったのでは?と今から思えばそう感じます。
なぜか? それはいくら合成だからといっても麻薬ですから、長期間の使用によって依存が始まる可能性があるからです。
いや可能性ではなく、依存するんです。
私も長期の服用でしたから依存していたんですね。
苦しむような禁断症状こそ出ませんでしたが、幻覚がでました。
それもおかしな、どうして?というような内容の幻覚です。
幻覚というものは、脳のどこかは忘れましたが、覚える場所があって一生忘れないものらしいです。
私もいまだに覚えています。そして一人で笑ったり(笑)
幻覚その1.
入院している病院は高知県にあり、本院は市内、分院が安芸(郡部)にあります。
これはもう妄想の説明に入ってます^^
ある時分院の特別室で、窓から竹林を眺めながら点滴をしています。
私:「婦長さん、今度本院に戻るのはいつかな? 家族が来るっていってたから連絡しないとね」(現実には家族らしきものはいません)
婦長:「そうですね、本院が入港するのが来週ですからまた日にちを聞いておきます」
入港? おかしな話でしょう?
実は本院である病院は船を改造して作られたもので、各地の専門病院へ患者を乗せて回っているんです。
幻覚その2.
そして分院が市内にあって、わたしは分院に入院しており、時々亀岡市の本院に行きますが、実はこの本院は経営状態が悪く私が理事長と相談して買い取る話になっています。買い取った病院はリノベーションして老人ホームにする予定です。
今日も下見をする入居予定者の方々が分院に集まって、バスで本院に向かう予定です。
ところが準備がうまくいかず、お客様を待たせているので、家内がみなさんを案内する予定だっただろうと看護師に怒鳴っています。
家内はどこへ行ったんだ?(現実は、私は独身です^^;)
他のベッド(相部屋でした)へ行って、入院患者さんをお客様だと思い込み、「どうもお待たせして申し訳ございません」と謝って回ります。
看護師たちは、「とにかくベッドに横になって下さい、お願いします」と必死です^^
「君たちはなにを言ってるんだ?今回の事業には多額の投資をしている、うまくいかなければ私は破産だ!」と、うろうろしている看護師が役に立たない社員だと思い込んで「もっとしっかりしてくれよ」と檄を飛ばすありさまです(爆笑)
幻覚?その3.
唾が出ないので口内が乾燥し、しょっちゅう水を飲んでいるせいかトイレが近くなります。
そして催すと早くいかなければ。薬の副作用でガマンが利かないのです。
廊下に出てトイレ、しかしトイレの場所が分かりません。
何度も通っているのに毎回分かりません。
看護師が来て、事情が分かっているので連れて行ってくれます。
無事終えて部屋に戻ろうとすると部屋が分かりません。
あちこち歩き回って、酷いときには他病棟へ行ったりして。
とうとう看護師が策を練りました。
病室のドアに、4月だというのに季節外れのサンタのぬいぐるみを吊り下げました^^;
「ここですよ部屋は、サンタさんがいるところね」
薬の副作用にもいろいろあります。
生死にかかわるような副作用にも見舞われましたが、周りの方々の迷惑は別として、
あとから思い出すと笑ってしまう副作用もあります^^
さあ、梅雨入り宣言後もあまり雨も降らず、暑い夏が来ます。
年中休みなので夏休みをとるというのもおかしな話ですが、一応PCで簡単な仕事はしているので、それを休んでどこかへ旅行にでも行きたい気分です。
お金はないけど暇は売るほどあるんで^^
人生って...
人生ってわかりませんね。
今日は麻央さんの悲しいニュースで、テレビもラジオも....
苦しかったのはもちろん、小さな子供たちを残して旅立つ気落ちは例えるものがありません。
業病、そう業病ですね、癌って。
思ってもいないのに自分の中で細胞が突然変異を起こして病気になる。
ましてや若い方は進行も早いし気の毒で、いずれは逝くのが人生とは言え無情です。
人生は階段みたいなものかもしれません。
疲れると途中で休んだり、ゆっくり上ったり、駆け上がったり。
屋外のお寺や神社なんかの長い階段のある所には、必ずその近くに上まで上がれる道があります。
でなきゃ物を運べない(〃艸〃)ムフッ
階段が辛いからってそっちの道を上がる、こういうのを道を外すというのかな?(笑)
しかし途中でや-めたって降りてしまうともう戻れません。
人生の階段は急いで駆け上がる人、ゆっくりと休みながら上がる人、同じ調子で上がる人、いろいろでしょうね。
できれば途中で休んでもいいから、なるべく時間をかけて無理をせずゆっくり上がって欲しいです。
疲れたら手を引いてくれる人と一緒に。
■
人の意識
果たして人の意識というものは、どんな状態に陥ったときに失われるのか?
気絶すれば当然意識はなくなる、痛みやショックで失神しても意識はないだろう。
ここで言いたいのは、脳死と判定されたり、それに近い状態で意識がないと判定された人たちには本当に意識がないのかということである。
例えば交通事故で緊急手術を受けたが意識が回復しない、そんなとき医師は意識の回復を待つために栄養を補給しながら患者の状態を診ていることしかできない。
家族の呼びかけにも応じず眠ったような状態のままで何か月もの時間が経過する。
その時間、その間、本当に患者はなにも聞こえず、なにも見えず、なにも解らないのだろうか?
時に認知症の患者に対して家族が名前を呼びかけたり、今まで通りにあれこれと話して接したりしていると、ふと意識が回復することがあるというようなことを見聞きする。
今回お話ししたいのはそれとはまるで異なるが、ふと意識が戻るという状態があるならば、意識がありながら伝えられないという状態もあるのではということだ。
私が思うのは、もし意識がないとされている患者に、周囲の物音が聞こえていて理解出来たり、目は動かせないが物が見えていたりしたならば、それは生きながらの地獄のような苦しみだろうということだ。
以前、私が今のように病気の後遺症で悩んだりすることのなかった頃に、なにかの本で読んだ記憶があるのだが、臨終ですと言われた患者が蘇生し、それまでのことをすべて覚えていたという一般の健常人には想像を絶するような内容だった。
そしてその実体験をこの私がすることになるなどとは、それこそ思いもしなかった。
「あとは本人の生命力と運です」
そう医師が言っているのを私が聞いている。
(そんなことはない、俺はまだ生きているぞ! 声も聞こえている、体は動かないがみんな見えている!)
そう心の中で叫びながら、お願いだから助けてくれ!
続けるのが少々辛くなりました。
思い出すだけでも大きなエネルギーが必要です。
今夜はこの辺りで。
おやすみなさい。
通院
山吹満開
暖かくなって少し汗ばむときもあるくらいです。
今日は1ヶ月ぶりくらいの病院でした。 本来の科は3ヶ月に1回になったんで、
少し楽にはなりましたが、それがいいのか悪いのか。
昨年のX'masにちょっといたずらが過ぎて、あわや再発かと慌てましたが、
なんとか治まって3ヶ月目。
飯が食えなかったせいで4Kgほど痩せてしまいました。
去年の今頃は、まだ病院でした。
毎日放射線治療を受けて、首の周りの皮膚がただれ、アズノールっていうなんとも
べたつく軟膏を一日三回塗り替え、上から特殊な布の包帯をしてました。
この軟膏、とってもべたつくし下着に色が移るんです。
だからアンダーシャツの首周りを広げた、なんとなく婦人物のような?シャツを着てました。
去年はこの山吹を見られなかったんです。
いや下手をすればずっと見られなくなっていたかも知れません。
もうすぐ一年、でもまだまだこれからでしょう。
後遺症の見本市みたいになってしまってますから、朝夕の顔面筋肉の運動、唾液腺のマッサージ、関節をほぐす運動、毎日朝夕だと正直いやになります。
「自分のためでしょう」そう言われればそれまでですが、自分はもういいよと思うこともあります。
普通に食えない、当たり前に飲めない、唾が出ない、眠れない、こういうのがずっとだと本当にもういいと思います。
しかしまだ頑張っている年寄りがいるんで、放置して先に逝くわけにもいかないし。
抗癌剤の説明、それが躓き、次が放射線治療の説明、どうしてもっと自分で調べなかったのか、後悔しても仕方がないことですが。
このネット社会、調べれいろんな人の経験も知ることができただろうに。
納めた古武道に「八重垣」という技があります。
斬りつけて勝った、と思ったら倒れた敵が足を払ってきたのを一度収めた刀を抜き出して受け止め、とどめを刺すという技ですが、これに似てます。
癌は治ったよ、よかったね........後遺症はどうしようもないね、受け止めて頑張ろう。
ならないことが一番、それが病気です。
でも罹ってしまったら恐れずその病気と向き合って、医師と十分な話し合いをして、
あらゆる情報を入手して、その場を乗り越えるのではなく、将来を見越した治療を受けるようにすべきです。
それがQOLを維持する大切なポイントです。
菜の花
菜の花の季節、この先っちょ、先菜と言ってるが、
これの塩漬けが実にうまい、酒はやらんが酒にも合うし、なにより飯に合う。
どこかにないかと探していたら、さすが京の台所、錦市場にあったと友人が買ってきてくれた。
うれしいね、こういう心遣い。
患った病治療の後遺症で味もわからず、刺激物はダメ、それに唾液が出ないという
なんとも情けない状況から少し回復したが、当初は大袈裟じゃなくてもう死のうと思った。
食べる楽しみは人生の中でとっても大きい、それを奪われたら?
そりゃもっと辛い状態にある方はたくさんいると思うが、生きてるだけが人生ではないと確信したね。
QOL、つまり人生の質、これはとっても大切なこと。
特に拙くらいの歳になると、残された時間のほうが少ないんだから、如何にそれを楽しく過ごすかが問題になる。
金があるとかないとかではなく、日々を充実させ、後悔しないように過ごすということ。
悔やまれるのは、病院で医師がどうしてもっとインフォームドコンセントしてくれなかったのかということだね。
抗癌剤の副作用(これで死にかけたんですから)、放射線の副作用と後遺症。
この辺りを十分聞いていれば、医療に頼らず免疫療法をするとかいろんな選択肢があったと悔やまれる。
酒もタバコも。好きなピリ辛もダメになって残されたのはなに?
長年修業した古武道も、体が動かずもうできない。
病魔にやられたんじゃなくって、医学の非常識と不親切にやられたんだね。
もしこれを読む人があったら、なにかの時に参考にしてくださいね。
これからも、医学治療の後遺症の怖さと精神的に受けるダメージについて書いていきますから。