人の悩み 不安

以下借用文

”ストレスや憂鬱は、現代人にはつきものです。欲や怒りを刺激する情報はあふれているし、苦手な人づきあい、気の進まない仕事・残業も次々にやってきます。特に4月から変化が続いたあとの梅雨の時期は、いっそう心が重たくなる季節です。(中略)

マイナスの感情を癒す秘訣は、驚かれるかもしれませんが、「感情のない状態をとりもどす」ことなのです。

つまり、怒りも喜びもない“ニュートラルな”精神状態――ここに戻れるようになったら、心は劇的に健康になります。“

あるところでこれを読みました。

なにかの宣伝?だったかな?

そうじゃないかも知れないんで、「ご意見」としておきます。

 

感情のない状態 無と言うことでしょうか? この借用文ではこのあと仏陀についてのあれこれが展開されていました。

果たして無であるとするならば、人間は無になれるんでしょうか。

人間にとってストレスや不安は昔から「心」を締め付ける迷惑極まりない感情の一種でした。

なんとか逃れようと宗教に縋ったり、酒や麻薬に頼ったり、知らずして鬱に陥り生命に関わる事態を招くこともあったでしょう。

1955年、アメリカで精神安定剤が発売されました。

宗教も酒も麻薬も解決出来なかったものを化学と医学の力で解決しようと試みたのです。

これで人類は悩みから解放される!

マスコミはそう喧伝したらしいですが、

このトランキライザーはさほどに効果も認められず、依存性があり薬品ですから当然のこと副作用も発現しました。

しかしその後も向精神薬は進歩し、精神神経科では大いに役立っているはずです。

はずですと曖昧な表現をしたのは、勉強、調査不足で明言できないのと、わたしが軽い安定剤、睡眠導入剤の使用経験しかないからですが、総合失調症などでは大きな役割を果たしていると聞きます。

 

さて話を戻しましょう。

無になれるのか?という疑問でしたね。

考えないようにする程度は経験上可能ですが、それは短時間のことで、不安はまた頭をもたげます。

個人的には「無」は不可能だと思います。無になる努力をするよりはその原因を明らかにして、原因が発生した理由を考えることが解決ではなく、納得、諦めを生んでくれると思います。

もう一つ、安定剤や酒に頼る前に、現在の感情や不安、何故そんな状態になったのか思いつくこと全てを書き出してみて下さい。

個人的な経験と結果ですが、大きな安定を得られます。

そして原因と、その発生した理由にも気付きます。

更に経験からですが、不安に駆られたとき、おっくうで辛ささえ感じるときもありますが、外出することも大切です。

初対面の店員さんと話すだけで心が晴れることもあります。

それなら家族や信頼出来る友人に相談すれば?と考えるでしょう。

それも大いに有効な解決、いや解決は出来ませんが緩和する手段であることは確かですが、甘えから頼ってしまうと相手の負担が大きくなってしまうという諸刃の剣てあるとわたしは思ってます。

彼らには従来通りの接し方を継続したほうが良いと思っています。

さあて長くなりました。

私見と偏見に満ちたものになったかも知れません(笑)

機会があれば、けっこう珍しい経験を交えて、心の元気を保つ方法を考えてみましょう。