心を伝える/言葉で伝える

1968年、フォーククルセダーズのイムジン河は発売禁止になった。

原因や事情なんぞは当時の大人都合で興味もなかった。

メンバーの加藤は、即座に「悲しくてやりきれない」を即興のように作り上げた。

コード進行はやや違えど、二つの曲の神髄は同じだった。

天才というよりは天性のフィーリングを持ち合わせていたのだろう。

胸にしみる空の輝きは、イムジン河のとうとうと流れる水の美しさを、臆することなく晴れやかに表舞台で表現した。

 

まるで異なるジャンルの音楽にのめり込んでいたわたしにも、長身、痩躯の優しさだけが目につく加藤の胸の中で燃えさかっていた体制への反逆はひしひしと伝わった。

 

突然どうした?

そう質問されても応えようがないが、

その時の鮮烈な印象は今でもそのままわたしの心の中で炎を消すことなく燃えている。

 

個性や個人の思考を権力が押さえ込むのは赤子の手をひねるより容易い。

しかしそれに反発し、真っ向から対決するよりも、まるで異なった形で同じ個性と思考を表現し、人々に感動を与えることはその人の心が純粋で、諍いを好まず、かと言って個性と思考を曲げることなく行える才能と汚れのない精神のなせる技だろう。

 

例えとして取り上げた題材が、心情に訴える歌曲であったことが、伝えたい真意を茫漠とさせるかも知れないが、手法を変えた説得力は、思いもかけず人を揺さぶる。

 

とんでもない仮説を立ててみよう。

今わたしに死が迫っているとしたら、

悲嘆に暮れるだろうか?

恐怖を紛らわせるために羽目を外すだろうか?

人の胸に縋って束の間の安堵を得ようとするだろうか?

いずれも否である。

 

変人のわたしは、まず今までの人生に感謝するだろう。

出会った人、ケンカをした人、なにかを学んだ人、同じく共有した思い出を忘れずにいる人、愛した人、憎んだ人、ありとあらゆる関係のあった人たちを丁寧に思い出すだろう。

その人たちと歩んだ人生に溢れるほどの愛おしさと懐かしさを感じるだろう。

しかしそれはわたし個人の感覚であり、思考であるのだから、彼らとそれを共有しようとは思わない。

 

それらは心の中で、温かく溶け出し隅々まで行き渡り、迫ってくる避けようのない運命を、一つの約束のもとに訪れるわたしの人生の締めくくりとして、掌で包み込み、誰に知らせるでもなく密やかに目立たないところに飾って、一人で眺めながら哀切や喜び、怒りや自己嫌悪も交えながら、思いもかけず舞い込んだわたしの新たな人生として受け入れるだろう。

 

悲しくてやりきれないのは、未練ではなく正直に伝える言葉を思いつかないからで、苦しさは表現力の貧しさに対する悲しさで、燃えたぎる苦しさが明日も続くのは、まだ燻る希望が残されているからだろう。

 

悲しければ笑い、苦しければもっと悩み、果たして自分も知り得ない終わりだか始まりだかも判然としない、そして必ず終焉の来る人生を、人として迎える荘厳な儀式を「誰かに告げようか」

 

脈絡なき駄文をお許し願いたい。