始まりと終わりはセット-4
暗殺事件はちょっとお休み<(_ _)>
何かのきっかけで時間の進む方法が変わって、しかしそれが運命だったと言われれば
それまでだけど💦
元々暗殺されなかったかもしれない龍馬の運命も時間の進む方向によってはあったかも知れないと仮説を立てる(手前勝手)
運命というのが最終到着地点だとすると、運と言うのは運命へと導くための細い糸のようなもの?
或いは運命の方向を照らすための懐中電灯のようなもの?
運がいい、運が悪い、運が尽きた、運を使い果たしたなどなど運にまつわる言葉がありますが?
これはすぐに切れる糸や丈夫な糸があるように、また懐中電灯なら電池残量やルーメンに差があるように、「いい」「悪い」があったりするんだろう。
運命に到着するまでに、糸が何度も切れて結び直したりするのは「運が悪い」、ひどい場合は糸が品切れで辿り着けないなんてこともあるかも?
懐中電灯ならルーメンが低くて前が見づらく、つまり予想や計画が立てづらく運命に到着するのに手間取る。ひどい場合は電池切れで前が見えなくなり前進できない。
これが「運が尽きた、運を使い果たした」なんだろう。
こう考えると運というやつは、質的、量的なものであって、それを持ってる個体による使い方で有効になるのではなく、良質で大量にあるかどうかが問題になる。
つまり努力によって改善、改良したりすることはできない。
「生まれながら」のものなんだ?
しかし質や量は管理方法によって良質を保ったり、使用料を加減して目減りを減らしたり出来る。
運がいいからどんどん行け!なんて言ってると、電池残量が少なくなって途中ダウンもあり得るし、糸がなくなることもあり得る。
ここで必要になるのが才能なんだろうね?
優れた才能を持ってることを「生まれながらの」なんて言うのかも。
才能っていうのは、なにも音楽や美術や学問、スポーツにのみ発揮されるもんじゃなくて、運命にたどり着くために自分の持って生まれた運をどのように使うか、配分するか、有効利用できるかどうかもさす言葉なんだろう。
おっと、忘れ物。
なんだか運命は、素晴らしい到着地点のような感じで書いてきたが、それは到着してからでないと素晴らしいのか、悲惨なのかはわからない。
到着することはある意味自然の法則に近く、しかし人間なら放棄することもできる。
放棄する、つまり生きることに疲れて諦める。
でもまあほとんどの人間は到着するまで頑張る。
途中で、糸が切れたりもつれたり、電池残量が少なくなって夜道を暗中模索で歩かなければならないようなこともある。
これが病気だったり、経済的困難だったり、人間関係のいさこざだったりと世間でいうところの病厄、災難、災厄なんていうものなんだろう。
もう少しで安泰な人生がと思っていたら、健康診断で「癌です」と宣告されたり、
取引がまとまって順調に進んだが、集金した手形が不当たりだったとか、運命の到着地点手前で糸も切れ、電池も尽きて暗闇で身動きできなくなる、つまりアルツハイマーになったとか?
いやいやそういう悲惨な例ばかりではなく、糸が切れかかった、残り少ない、電池がなくなりそうっていってたら、途中放棄した人が残していった糸や電池を手に入れて、
さあて仕切り直しなんていう「幸運」もなくはない。
運を手に入れたってやつかな?
昭和的に言えば「人生いろいろ」、運もいろいろ。
さあて、暗殺事件の裏側調査、頑張ってみよう。