人間ってホモサピエンス?
例えば明日が消失したら
ある日突然、明日からの存在を否定されたり、無用であると宣告されたらあなたならどうする?
自分に非があるのでもなく、漫然と明日から来なくていいよ、君に頼むべきことはなくなったよ。
つまり存在を否定され、価値がないと宣告されたら。
なにが原因?
それは宣告した当人にも、されたがわ身にも永遠不滅の疑問として残るのだろう。
現代において、個人的な感情で人の存在はひていできない。
さかさそこに至ってしまった原因は何かしら存在するはずである。
人の種類ってあるのか?
さまざまな人が住んでいるのだから
当然人はいくつかのグループに分類されるであろう。
それが、所属する企業にとって有意義な者であるか、無意味な者であるかには基準はない。
ごく個人的な考え方によって分類され、大ぴっらにされることもなく秘密裏に、個人が個人の嗜好によって分類されるのみである。
そこには服装のセンス、会話の洗練度、外見上のことも含まれるかも知れない。
そしてそれらは一切表面化されることなく選別の大きな原因になっている。
ハンセン氏病の患者が後世になってその存在を認められたように、時勢の流れの中で認められ、権利を与えられ社会のど真ん中ではないにせよその存在は認められるのだ。
大きく輝く
ことはいくら世情が認めようとも、人間の生まれながらに持つ本能によって阻まれてしまうのだが、少なくとも、半世紀前までの処遇と比較すれば驚くべき進化を遂げることは間違いない。
世間ではそれを進歩、解放と呼ぶ
人類の努力と呼ぶ
果たしてそうなのかどうかは、その歴史的な過程を検証し、過去と、現在を比較しなければ推論さえ出せない。
例えが簡単明瞭な黙示による差別が時代と共に撤廃為れていったことに題材を求めたのが行けなかったのか?
しかし100人いれば、その100人に起こり得るなにが原因が不明のまま終わってしまう大罪の原因となる者がそこには存在する。
以下に人道的に物事が解釈されようとも、未来永劫怪傑には至らない人の葛藤が厳然と存在するなにがが、人の世のなから消えてへはなくならない。
黒人と白人のごとく、もんごろいどとコーカサスのごとく、決して消えることはありえない。