医学は治療のみ?
検査のために5日間の入院をした。
これに対しての慰労、見舞いの言葉が人によって随分異なる。
結構面白い😋
・どうされたんですか? どこがお悪いの?
まずこれが一番多かった
次いで
・5日も?大変でしたね もう大丈夫なんですか?
・えっ!知らなかった!(教えてないから当然)お見舞いにもいかず
・5日?短かったですね?
なんの検査したんですか?
一番面白かったのが
・えー?なんで?教えてくれなかったんですか?冷たいなぁ!
(そんなに親しくもないと思うけど)
検査の目的は定期的な検査による病変の発見で、その部分の組織を腹腔鏡で採取して調べると言うそう大げさなものではなかったが、一応は(痛いので)全身麻酔で施術された。
術後の傷口の痛みなどはさしてなく、辛いのは長時間挿入されていた人口呼吸器が喉に与えた刺激と、同じ姿勢でいたために首筋から背中にかけての凝りと痛みが酷く、体が思うように動かせないことだった。
絶飲食なので水は飲めない。
喉の痛みや痰のからみは尋常ではない。
その上、狭いベッドの上で体が動かせない。その状態で24時間我慢しろっていうのは拷問に近い。
意識もなくICUに入っているのとはまるで違う。
しかし表題の「医学は治療」とこの辛さは関係ない。
確かに新たな疾患が発生しているかもしれない、それを調べるための検査がここまで辛いと、高齢者の方の中には次にまた検査と言われたらもういいよと言う方も出て来るだろう。
本題に戻ろう。
医学とは病気や怪我、障害を治療し、軽減するか、健康な状態に戻すために存在すると言うのが定義なのか?
「医学(いがく)とは、生体(人体)の構造や機能、疾病について研究し、疾病を診断・治療・予防する方法を開発する学問である。 医学は、病気の予防および治療によって健康を維持、および回復するために発展した様々な医療を包含する」。
安易にネットで調べるとこういうのが出て来た。
しかし、この中に患者の精神的な苦痛や病後生活、治療や治療薬により発生して残されたり人生に与える影響などには触れられていない。
私自身も何度か入院をした。
そしてその都度上述した点に関して説明をした医師はいなかった。
私自身も不勉強で質問するための疑問すら持っていなかった。
治癒すればいい、そう思っていただけである。
現在でもまだまだ、QOL(人生の質)や
ACP(Advance Care Planning、将来の変化に備え、将来の医療及びケアについて、 本人を主体に、その家族や近しい人、医療・ ケアチームが、繰り返し話し合いを行い、本人による意思決定を支援するプロセス)
などの説明をする病院、医師は希少な存在であろうと思う。
例えば抗癌剤の使用に際し、その副作用や後遺症などの十分な説明もないのが現実である。
パンフレットを手渡され、質問があればどうぞ程度のものだろう。
癌サバイバーたちのサイトを拝見すると、体験や情報で得た抗癌剤の副作用やそれに対処するための方法がたくさん集められている。
しかしこれらが副作用防止のために病院で投薬時に行われることはほとんどない。
患者自らが投薬時に対処方法を実践しているのである。
先日、退院時に医師にこれらのことをはしょって質問してみた。
医師は、副作用か強く出る人、一過性で治まる人とそれぞれなので全て対象として病院で予防措置を行うことは難しいと言った。
またQOLやACPに関しても、考えなければならない大切なことであるのは十分に認識している。
しかし、自分(医師)の場合、月、火、木と手術があり、その他の日にはカンファレンスがあり外来がある。
大切なことだと思っていても時間的にいろんな患者さんに公平に対応するのは物理的に困難だ、と言うのが彼の回答であった。
二の句が継げなかった。
これはこの病院の経営の問題か?
日本国の医療というものに対する根源的な問題か?
或いは医学界に大昔から根強くはびこった習慣によるものか。
医学とはなにか?
なければ困る、いまの私にはこれしか回答がない。